夜半を過ぎた頃になると雨はやんだものの、いまだ風は強かった。
やけに気分がたかぶって、夜具に入ってからもなかなか寝付けない。
泰衡は幾度となく寝返りを打って、はぁ、とため息をつく。
"火鉢がご入用の際にはまたお呼びください"
銀の言葉が耳について離れない。
わかっている。
手を伸ばせば届くのだ。
こうしている今だとて、一声呼べば銀はすぐさま参るであろう。
そして泰衡の望むものを与えるであろう・・・その身をもってして。
しかし子供じみている。
数えきれぬ夜を一人で過ごしてきたくせに、なにをいまさら、と。
ただ・・・あまりに心地がよかったから。
泰衡を主としてあがめ、泰衡のすべてを受け入れる銀の腕はあまりに暖かかったから。
・・・こうして思い出すだけで、とろとろと理性が闇に溶かされていくような気がする。
望めば手に入るという誘惑が泰衡を甘く揺るがす。
―眠れない。
泰衡はあきらめたように吐息をつくと、夜具を抜け出し部屋の外へ出た。
頬をなでる風はひどく冷たいのに、身体の奥に灯ったぬくもりが泰衡の身体を暖める。
泰衡は夕方そうしていたように、柱に背中をつけ縁に座った。
しかし、泰衡の内なる気持ちは夕方のそれとはあきらかに異なっていた。
思い出の中のほのかなぬくもりに、かりそめに身を任せやすらぎを得ていた以前と異なり、今の泰衡の心を占めるのは、やすらぐどころの騒ぎではないより生々しい希求。
―銀に抱かれて眠りたい。
それは本当に子供じみた想いであったが、それゆえに自尊心の高い泰衡にとっては許せない。
藤原氏の総領とあるものが、誰かに抱かれて眠りたいだなどと。
誰かの腕を求めて、夜も眠れないだなどと。
ひゅうっ、と冷たい夜風が泰衡の頬を撫でる。
冷たさに肌が粟立つが、それこそ己の望むものとばかりに泰衡はその場から動こうとはしなかった。
無駄なことかもしれないが、こうして己を厳しい環境におくことによって、培われてきたはずの総領としての誇りを取り戻せるような気がした。
しかし、その行為は泰衡にとって裏目となった。
明け方近くにようやっと床についた泰衡であったが、どうやら体調を崩したらしい。
朝、あきらかにおかしい寒気に襲われ、泰衡は自分が熱を出してしまっていることに気づいた。
―ありえぬ・・・
まったく愚かとしかいいようのない己の姿に、泰衡はただため息しかでない。
さっそく泰衡の看病にかけつけた銀の姿を目にした瞬間、愚かな行為への慙愧は嫌悪にすらなった。
しかし、そんな泰衡の気持ちなど知らぬ銀は、こまこまと泰衡のためにいろいろ動いている。
「泰衡様、薬湯をお持ちいたしました。どうぞお召し上がりください」
「うむ・・・」
銀は泰衡が身体を起こそうとするのをたすけようと手をさしのべたが、その手は泰衡に軽くはらわれる。
余計なことだったかと、銀の顔が申し訳なさげに曇る。
そんな銀を見て、泰衡はまた自己嫌悪を募らせる。
―銀の優しさが、俺を駄目にする。
下僕としては文句のつけようのない男であったが、そば近くに置きすぎていつのまにか依存心が強くなりすぎてしまった気がする。
銀自身、泰衡のそばに在ることを心より望んでいるようだから、泰衡も遠慮なくなんでも命じてきたのだが。
―銀の前でだと、俺は子供のようにわがままになる。
つ、と立ち上がりかけた銀の衣のすそを、泰衡の指がつかんでひきとめる。
「泰衡様?」
「・・・・・・」
―こうして子供じみた行動に出るのは、銀のせいだ。
熱のせいか、もうなにもかもがどうでもいいような気がしてきた。
すべて銀のせいにして、泰衡は思う通りに行動してやろうと開き直る。
銀が座りなおしたのを見届けてから泰衡は銀の衣から手を離し、薬湯を一口すすった。
「・・・まずい」
より深くなった泰衡の眉間の皺に、銀は苦笑をもらす。
「良薬は口に苦し、と申します。これを服すれば、たちどころに熱も下がると薬師は申しておりました」
泰衡は銀をちらと一瞥したのち、残りの薬湯をぐいっと飲み干した。
「これでいいか」
「はい、よろしゅうございます」
泰衡から返された器をうけとりつつ、銀はまたにっこりと微笑んだ。
―この微笑がいけないのだ。
なにが嬉しくてそのような顔をしてみせるのだろう。
泰衡に尽くすことだけが日々の銀にとって、なにが喜びなのだろうと想像してみると、なにも思い浮かばない。
それなのになぜ・・・・・・
「・・・銀」
「はい」
「おまえは俺のことをどう思っておるのだ?」
「・・・は?」
泰衡の問いに銀の瞳が丸くなる。
「俺がおまえの主だということはわかっておろうな」
「はい、それはもちろん」
「だがそうではなく・・・俺という人間を、おまえはどうみているのだ?」
「・・・・・・・・・」
泰衡の唐突なこの問いに、銀はなんと答えたらよいのかわからず困惑した。
どう、というのはどういう意味なのだろう。
泰衡様の人となりについて銀なりの感想を述べよ、ということなのだろうか。
それとも・・・
「・・・尊敬できる方だと、一生をかけてお仕えするにふさわしい方だと思っております」
予想のついた銀の答えに、泰衡は不満げに眉根を寄せる。
「そんなことをききたいのではない。客観的にみて俺をどう思っているのか・・・俺はどのような人間だと思っているのだ」
「それは・・・・・・」
銀なりに、泰衡的思考は理解しているつもりではある。
さもなければ泰衡付きの従者など務まらない。
下僕としての主への忠誠心をはかりたいわけではないのは、先の口ぶりからも明白である。ならば・・・。
あらためて泰衡をみてみれば、不機嫌そうに眉間に皺を寄せてはいても、まっすぐ銀をみつめる瞳は強く、銀の視線を捕らえて離さない。
ごまかしなどきかない人であることは、銀は重々承知していた。
しかし、熱のせいで少し頬が紅潮しているところに、男にしておくのはもったいないほどの美しい黒髪。
その不均衡さは不思議と銀の心を惹きつけてやまない。
ほうっておけない、というのだろうか。
この気持ちを素直に言葉にするならば。
「お可愛らしい方だと思います」
銀の言葉に、泰衡はおもわずぽかんと口をあけた。
だって、今までそんな言葉は自分に向かって発せられたことなどない。
銀がなにを考えているのか、この時ほど不可解!と思ったことはなかった。
「貴様・・・俺を愚弄する気か」
「とんでもございませぬ。泰衡様が私の泰衡様への印象を述べよとおっしゃられたので、正直に
こたえたまででございます」
「それがどうしてそのような言葉へ結びつくのだ」
「なぜ、と問われましても・・・・・・ただ、そう思うのだとしか・・・・・・」
泰衡はがっくり頭と肩を落とした。
「・・・そのような言葉は女、子供にかける言葉ぞ。馬鹿にするにもほどがある」
「お気を悪くされたのでしたらお詫び申し上げます。ですが、けしてそのようなつもりで申し上げたのでは」
「・・・・・・もう休む。おまえもさがれ」
泰衡は銀に顔を向けることなく、夜具の中にもぐってしまった。
口調から、怒ってるわけではないのはわかったが、やはり言葉を慎むべきであったかと銀は後悔した。
「・・・なにかございましたらどうぞお呼びください」
銀はそう言って一礼すると、音もなく泰衡の部屋から出て行った。
銀が退室したのち、夜具の中で泰衡はぐるぐると目が回るような心地であった。
―恥ずかしい男だ・・・!
どこに主にむかって可愛いなどとほざく下僕があろうか。
しかしもっとどうかしていると思うのは、銀の言葉に驚きはしたものの、嫌悪感はわいてこないという点である。
通常であれば、子供扱いされたとか、馬鹿にしてるとか憤りそうなものなのに。
主従という立場からではなく、人として、銀が泰衡に好意を抱いていることはたしかであろう。
泰衡を見つめる瞳が優しく、嬉しげであるのも、そう考えれば納得がいく。
しかし、人の上に立つ者としてふさわしい振る舞いをするよう育てられた泰衡である。
厳格な印象を与えこそすれ、いったい自分のどこがどう可愛いのやら、皆目検討がつかない。
頭がずきずき痛んでくるのは熱のせいばかりではないだろう。
―馬鹿馬鹿しい。
答えの出ない思考を手放し、泰衡はぎゅうっと目を閉じた。
意識から遠く離れたところで、ばたばたと舘の者たちが昨夜の嵐で壊れた箇所を修繕している気配を感じる。
舘の主であれば先頭に立って指揮をとらねばならぬのに、泰衡は指一本も動かすことができない。
"―お寒くはございませぬか"
泰衡の夜具を整え、かたわらの銀が泰衡の様子をうかがっている。
―これは、夢?
泰衡は目を閉じているのに周りの景色がみえるというのは、これは夢なのだろう。
夢なのかどうか確かめようと手を伸ばして銀の衣をつかもうとしたが、やはり手は鉛のように重く、動かない。
しかし、泰衡の意を察したのか、銀は泰衡の手をとった。
―暖かいぬくもりが、銀の指を通じて伝わってくる。
触れ合っているのは手だけなのに、そこから熱が身体中にひろがっていく。
なぜこんなにも安堵できるのだろう。
これは己の願望がみせる夢なのか。
"なにも、問題はございませぬ。私はずっとおそばにおります。どうぞゆっくりとおやすみください―"
銀の穏やかな声。
銀がそばにいる、そうかと思うと、自然に泰衡の口元に微笑が浮かんだ。
そして、泰衡は再び深い眠りにおちていった。
しっかりと泰衡が眠りについたことを確認して、銀は握っていた手をそっと夜具の中へ戻した。
―やはり、可愛らしいお方だ・・・
あらためて銀はそう思う。
自分など、泰衡にとっては手駒のひとつに過ぎないことはわかっている。
しかしそれでもこうして自分を必要とするようなそぶりをみせられてしまうと、つい愚かしい期待を抱いてしまう。
もっと必要とされたい。
どのようなことでも泰衡様のお役にたたせていただきたい。
いっそ、泰衡の一部になってしまえたらと思うほど、銀の泰衡へ対する想いは熱かった。
しかし、あまりに苛烈な想いは銀の心を苦しめる。
自分が求めるものを、この人もまた求めておられているわけではないのだ。
泰衡から気をそらそうと、銀はあたりの物をかたづけはじめた。
そばにいると言ってしまった手前、勝手に下がることは許されない。
我ながら愚かしいことを言ってしまったと、銀は自嘲する。
銀は同じ部屋にいながらも泰衡から一番離れた場所に座り、その背を柱にもたれかけた。
どのくらい眠っていたのだろう。
目を覚ますと、身体の節々の痛みもとれ、だいぶ頭もすっきりしているようだった。
薬湯が効いたからなのか、それともしっかり睡眠をとったからだろうか。
泰衡は起き上がると、その視界の端に入った影に驚きの声をあげそうになった。
泰衡が風にあたりたいときにそうするように、柱に背をもたれかけ、まぶたを閉じてそこにいるのは銀。
そういえば銀の夢をみていたような気がする・・・夢と現実がごちゃまぜになって一瞬混乱する。
あの時、本当に銀は俺の手を握っていたのか?
そもそも、自分から手を差し伸ばそうとしていたような気がする。
泰衡の頬が朱に染まった。
「し・・・銀っ!」
泰衡の声に、ぱちりと銀の瞳が開いた。
「泰衡様・・・お目覚めになられましたか」
にこりと微笑しこちらに向き直るところをみると、眠っていたわけではないらしい。
すべて銀に先をとられてしまったように感じて、泰衡は眉間に指をおいた。
「頭が痛みますか」
衣擦れの音とともに銀が近づいてきて、泰衡の様子をうかがっている。
あまりに有能な下僕は、時と場合によってはかえって気に障るものである。
「俺が頭を痛めるのは、おまえのせいだ!」
理不尽な文句を銀に浴びせかけ、泰衡は夜具の中に潜り込んでしまった。
完全に八つ当たりである。
しかしそんなことは知らない銀は、夜具の下の泰衡のかたまりを、きょとんとして見つめた。
もう、認めざるをえない。
愚かだと思う。
子供じみていると思う。
けれど、銀にそばにいて欲しいと思う。
銀のぬくもりを感じたいと思う。
こんなことに思い煩い、そんな己を叱咤すべく夜風にふかれたあげく、体調を崩すようではもうどうしようもない。
「泰衡様、お気に障るようなことがございましたのでしたらお詫び申し上げます。ですが・・・具合は
いかがですか」
「・・・・・・・・・」
返す言葉もみつからない。
具合はどうかと問われれば、泰衡としては最悪といってもいいだろう。
自分で自分を制御することができないのだから。
銀が、小さくため息をついたのが気配でわかった。
「・・・では、私はもう下がります」
「・・・・・・」
「またなにかございましたら、お呼びください」
銀は一礼して立ち上がると、本当に部屋から出て行ってしまった。
あとに残された泰衡は銀の足音が遠くに去ってからようやっと起き上がった。
どこまでも穏やかで優しい男。
理不尽な扱いをすることは今だけのことではない。
それでもああしてついてくるのは他に身寄りがないからだけでなく、心底泰衡の身を案じているから。
嬉しい・・・と、思う。
特別愛に飢えているというわけではない泰衡だが、たとえ身内であっても冷たい関係の者もある中で銀の存在は特別であろう。
「今年は早めに火鉢を手元に置くか・・・」
そうひとりごちて、泰衡はため息をついた。