泰衡が動くまで、銀はじっとそうして額を床につけたままであった。
それは斬られる覚悟を示していた。
ついに、口にしてしまった想い。
その愚かな行為の代償は命を絶たれるほかないだろう。
後に残った主はやすらぎの場を失う代償に、この穢れを祓うことができよう。
泰衡を慈しむ存在はこれからも現れるだろう。
銀の代用など、いくらでも手に入れることもできよう。
秘めておくには大きくなりすぎた想いを抱いたままこの世から消えることができるのなら、それは幸福とよべるのではないか。
銀は全身の血が静かに凪いでいくのを感じた。
「・・・・・・銀」
最後に己の名を呼ぶ愛しい人の声を聞けるとは・・・銀は微笑を浮かべる。
「銀」
「・・・はい」
主にこたえるのもこれが最後。
銀は瞳を閉じた。
「・・・いい加減おもてをあげろ」
「・・・・・・?」
泰衡の意図をはかりかねつつも、銀はほんの少し頭をあげる。
「銀、俺をみろ」
「っ・・・」
なんと、むごい・・・いったいなんのお戯れかと、銀は泣きそうな心地になる。
それでも主の命である。銀はおずおずと顔をあげ、泰衡をみた。
泰衡は平素と変わらぬ、静かだが鋭い瞳で銀をみつめていた。
「おまえは、そのようなことを望んでおったのか」
泰衡の言葉に銀の頬がさっと赤くなった。
好きな人の目の前で、己の性的欲望を指摘されることほど恥ずかしいことはない。
銀は唇をきゅ、と噛みしめた。
しかし、たとえどのような辱めを受けようと、報いは受けねばならない。
「・・・はい」
銀のこたえに、泰衡の瞳が一瞬揺らいだ。
「・・・・・・わからぬ」
「おわかりになれぬのも無理はございますまい。道理に反したものであれば」
「道理に・・・おまえは男色を好むのか」
泰衡の口から出た直接的な言葉に、銀は思わずうろたえた。
「いえ・・・いいえ、けしてそのようなことは・・・」
「さもあらん。常日頃の女に対するおまえの態度をみれば一目瞭然だ」
「は・・・・・・」
そのようにご覧になられていたのか・・・銀は羞恥に目がくらんだ。
「ならば・・・なぜだ。まさかこの俺を男と知らぬはずがなかろう」
「・・・人を恋慕うのに、理由がありますでしょうか。その人がその人であるから、恋をするのです」
「俺が男であることを承知の上で、ということか」
「無論にございます」
「・・・・・・」
再び深々と頭を下げた銀を、泰衡は複雑な想いでみつめていた。
まさか銀がそのような想いを自分に対して抱いていようとは。
しかし、先刻からの銀の態度をみていれば、その想いが真実であることは痛いほど伝わってくる。
思い返してみれば、銀の優しさも、泰衡を抱く力強い腕も、ときおり囁かれる戯言も、泰衡を恋い慕う想いからきたと判ずることはたやすい。
「まったく・・・・・・」
とんでもない男を拾ってしまったものだ。
すっかりしおれてしまっている様子の銀に、泰衡はただため息しか出ない。
「・・・理解できぬ。この俺のどこがそんなにおまえの気にいったのだろうな」
「・・・・・・」
「言ってみろ」
「は・・・」
ぽう、と銀の頬が赤くなる。
銀は伏せ目がちのまま、ぽつぽつと言葉をつむいだ。
泰衡のひとり志を守る孤高たる姿。
厳しい表情の裏に秘めた慈悲深い心。熱い想い。
凛と張った声に、鋭い眼光に、知らず知らずに心惹かれていた。
泰衡の命によって動くことに無上の喜びをおぼえた。
泰衡の願いであればどんなことでも命を賭してできる、そう思える自分が幸せだった。
―はら、と、銀の瞳から涙が一筋零れ落ちた。
その様に、泰衡は思わず息をのんだ。
恋する者の切々たる想いをまのあたりにしたのは初めてのことで、しかもそれが自分に対する想いなのだから、動じないでいられるわけがない。
「申し訳・・・ございませぬ」
泣いたことを詫びているのか、それとも泰衡に尋常ならざる想いを抱いてしまったことへの謝罪なのか。
袖でそっと目をおさえる銀をみつめ、泰衡はじっと黙っていた。
下僕には過ぎた想いを抱くこの男をどう処するべきか。
総領として受けた教育の中に、その答えなどあるはずもなく。
色恋沙汰にはあまり関心のなかった泰衡に、その答えを導き出すすべもなく。
どうしたものかと途方にくれている、というのが正直な気持ちである。
先刻の銀の様子は斬られる覚悟を示していた。
たしかに、おおよそ僕としてらしからぬことをしでかしたのだから、斬られても当然だろう。
しかしとても斬る気にはなれない。
銀のことは嫌いではない。
むしろ好ましいと想っているから、こうして己の寝所へも出入りさせているのだ。
かといって銀の想いを受け入れるのかと問われると、やはり首をかしげてしまう。
銀が落ち着いた頃あいをみはからって、泰衡は口を開いた。
「・・・それで。俺はどうしたらよいのだ」
「・・・・・・は?」
涙に潤んだ瞳で銀は泰衡を見上げる。
まるで捨てられた子犬のような、すがるような瞳。
俺はまたこの男を拾うのかと、我ながらあきれてしまう。
以前拾ったおりには、なにかに使えることもあろうかと手駒を増やす程度の気持ちであった。
しかし今は。
「面倒なことだが・・・おまえを最初にここに引き入れたのは俺だ。俺の責任もないわけでもなかろう」
「・・・・・・」
「伽・・・か。必要と感じたことはないが・・・」
―いや。
銀のぬくもりを求め寝所を共にするように命じている時点で、伽を命じているようなものだろう。
ただ、添い寝以上のことを求めていなかっただけで。
抱きしめられているだけでも、あれほど心地よく暖かな銀の腕。
幸せ・・・とすら感じたのは、銀の泰衡に対する愛慕ゆえか。
この男に、本当の意味で身を任せた時、なにが起こるのだろう。
じわ、と好奇心が頭をもたげる。
「おまえに・・・・・・伽を命じよう。・・・それでよいか」
「っ・・・!」
銀の瞳が大きく見開かれる。
驚きのあまり言葉を失っている銀にまじまじと見つめられ、泰衡は居心地悪そうに顔をそむけた。
「さような間の抜けた顔で俺をみるな」
「っ、いえ・・・その・・・申し訳ありませぬ。ですが・・・」
「二度は言わぬ。俺はもう休む」
「っ・・・はっ・・・」
まったく想定外である。
さっさと先に夜具にもぐってしまった泰衡の後頭部を眺めつつ、銀は正直途方に暮れた。
本当によろしいのだろうか―・・・
信じられないのも無理はない。
もしやこの主は伽の意味をご存知ではないのではないかとすら疑ってしまう。
どうしよう、どうしようと逡巡していると。
「なにをしている。さっさと灯りを消せ」
「は、はい・・・」
泰衡の声に金縛りが解けたかのように、ようやっと銀は動くことができた。
上掛けの着物を脱ぎ肌着になると、灯明の元へ歩み寄り、そっと灯りを吹き消した。
しゅん、とあたりは闇に覆われたが、銀は慣れた足取りで泰衡の背後へとまわった。
「失礼、いたします」
その声色から、銀が緊張しているのが伝わってくる。
いつものように頭の下に腕がさしいれられ、背中から腕をまわされる。
いつもと違ったのは。
「泰衡様・・・」
「っ・・・」
泰衡を抱く腕に力がこめられた。
背中に銀の胸があたり、彼の心臓が早鐘のように脈うっているのがわかった。
銀の頭が、泰衡の頭にこつりと寄せられる。
頬で滑らかな髪に感触を味わうかのように摺り寄せられる。
それだけで。
―愛しい・・・
そんな銀の想いが伝わってくる。
泰衡の身体が、かぁっと熱くなった。